仕事をひととき離れて、日常の出来事やうっぷんをこっそり更新。
皆さんも息抜きに楽しんでもらえれば幸いです。
このブログを通じて皆さんとの輪が広がりますように・・・
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近くの畑で、エンドウ豆取り放題があるときいて朝6じに起きて行ってきた。新鮮な豆を東京の孫達に送ってあげたら喜ぶだろう。食べさせてあげたい。一つでも多くと必死に取って支払いにいったら、オジサンに「あんた、今まで何取ってたんだ?中味が入っていないこんな薄っぺらなものとっても食べられないよ。こりゃあ、実がない。あかんわ。取り直し」と言われた。慣れてる人は、よく見て、ぷくんと実があり、皮がしわしわなのを上手に選んでいる。「実がなくても皮をたべればいいかな」といったら「この人何にも知らねー。皮の食べられるのは違う種類の豆なんだよ」ひゃあー。折角送っても、捨てる皮の山と、息子、娘夫婦に怒られるだろうな。でも、これも私の誠意。誠意。
慌ただしいいつもの朝。エンジンをかけ、車を走らせようとした時、道を横切ろうとする黄色い帽子の女の子が現れました。ブレーキを踏み、先に行くよう合図を送ると、女の子は小さな体をいっぱいに使って「お先にどうぞ」と笑顔で道を譲ってくれたのです。そんな小さな出来事が1日の始まりに、心をそっと暖めてくれました。それは、大人であっても、子供であっても同じ。誰もが持ってる小さな優しさが、そばにいる人を幸せに出来るということ。幸せはそうやってほんの小さな事から生まれていくのです。。。この文章を読んで、何か私の心もほのぼのと暖かさに包み込まれた。私も日常、小さな想いから生まれる小さな幸せをかみしめたいー。。。
いつも行くスーパー。レジでお金を払ったら、小銭しかくれない。「確か一万円出したんだけど」「いいえ、五千円札でした」「いや一万円」「いや五千円」で言い争いになった。後ろに並んでいるお客様に迷惑との事。店長が走ってきた。「私がボケているかも知れないけど、確かに一万円出したんです。徹底的に調べてください」と言ったら、レジのお金が入っている箱ごと移動し、なにやら計算機を使って全てのお金を数え始めた。「申し訳ございません。やはり五千円多かったです。お返しします」と店長平謝り!。隣でレジしていた若い女の子。知らん振り!。謝る気配サラサラなし。店長が謝ればそれでいいんじゃない?みたいな顔して突っ立っている。お金よりそっちの態度に腹が立つわ。年老いた店長は責任者の職務として当然と思っているかもしれないけど、自分が仕出かした事は自分も責任と考えないのだろうか?朝礼で、挨拶言葉、謝罪言葉マニュアルで訓練してると思うけど。。。実際は、、、
最近は中古という言葉の抵抗感が薄れてきているという。値段の高い宝石やブランドバックもネット通販で中古品を買い求める人が沢山いるという。私達の時代は、新品を買いたくても、お金がなくて、中古を恥ずかしいと心で思いながらソッと買った記憶あり。物が豊富に買える今の時代になってからは、中古には目もくれなくなった。でも今の若い人達。友達同士で、赤ちゃんの使い古着、ベッド、ベビーカー、はたまた自分達の着なくなった古着まで、人から人へ使い回し、ダメになって始めてポイ。十分使ったという満足感。変なプライド捨てられる。節約。有効なお金の使い方。賢いやり方だね!。若い人にも教えられることがいっぱい!偉い!見習わなくちゃあ!。。
1~2回しか行った事のないお店で、店員さんから「~さんようこそ」と名前で呼ばれ、びっくりしたことがある。接客業としてあまりあった事がない人でも名前を覚えてくださっていると喜ばれる反面、違和感があると懸念される時もあるそうな。一般的な礼儀としては、知っている人に対しては名前で呼ぶのがマナー。相手を認めた上でのお付き合いのメッセージ。でもあまり親しくない人から名前で呼ばれると複雑だよね。昔、子供の英語の家庭教師に外人の学生をお願いした事があった。お茶やお菓子を出す度に「オー。由美子、ありがとう」と言う。由美子、由美子と呼び捨てにされて、違和感を覚えた。「主人でも由美子と呼び捨てにしないんだからあまり気安く、由美子、由美子と呼ばないで!」と怒ったら、凄く、戸惑っていたっけ!。
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