仕事をひととき離れて、日常の出来事やうっぷんをこっそり更新。
皆さんも息抜きに楽しんでもらえれば幸いです。
このブログを通じて皆さんとの輪が広がりますように・・・
|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
仕事の帰り、ちょっとカラオケ喫茶に立ち寄った。夕飯の準備を気にしながら、二曲だけと決めてカウンターに座ったら、隣のお客様歌よりも焼き鯖、おでん、野菜サラダをつまみにちびちびやっていた。う~ん。いいにおい。私の鼻にも吸い付いてくる。ママさん「夕飯は?」「今から」「持っていく?」即鯖を焼いてくれ、野菜サラダやおでん、漬け物パックに入れて用意してくれた。あまりのいいにおいに、お腹が反応。歌はどうでもよくなった。お客様「あらら、歌もうたわずもう帰るの?」の声を後に、家に帰り食事の用意。やきたての魚。あったかいおでん。ちょうどよい塩かげんのおつけもの。サラダにゴマドレッシングをかけて。。。なんて幸せ。これからは、食事のひととき。幸せと思う至福のひとときをあえて作るようにしなきゃあ。。。
今の世の中。速度の時代。生きていく上で、何もかも波にのらないとついていけないという。でも、何もかも速度に合わせ、便利になることが人にとって、決して快適とは限らないという考え方には私も同感だ。私の回りに、会話の中で、「あなたは何を言いたいの?結論から先に言って!。スピード時代の世の中。要点を先に簡単明瞭。要領よく話さなくちゃあ。何ごとにもついていけないわよ」と言う人がいる。私にしてみれば、相手の気持ちを考え、言葉を選び、回りくどくなるのかもしれない。それをじっと聞く時間がもったいないらしい。その話の中に何か得るものがあるかもしれないと思う時間さえ、煩わしいらしい。回り道。不便さ。無駄なことを愛することによって、心にゆとりとひろさが出てくると思うのは間違っているのだろうか。心も、言葉も、技術も、スピードの波にのらないとついていけないのだろうか?。。先、先へと進化についていくことだけが生きていくうえで必要なことなのだろうか・?
昔、以前いた家の近くに、聾唖者の夫婦が住んでいた。時々、町内の連絡事項などでお邪魔すると、言葉が通じず筆談だった。その夫婦に子供がうまれ、会話の出来ない夫婦の子育てに毎日四苦八苦の状態の少しでもサポート出来たら、と何回か行き来して仲良くなった。子供もすくすく育つものの、親子の言葉の会話がない。子供も自然に手話はするが声を発しなくなった。近所の人が時々家にお邪魔しては、声をだすことのお手伝いをしていたが、ある日突然家を売っていなくなってしまった。あれから何十年わすれかけていたあの家族に、えるばの広場でコーヒー飲んでいたらバッタリあった。奇遇。娘さんも18才になったとか。しっかりと父、母、と私との間を手話と会話で取り持ってくれた。微笑ましい姿。親思いの子供。どんな障害があっても、家族が助け合い、はげまし合い、支え合いの姿は明るい。あんなに素直な立派なお嬢さんになって。。。自分の事のように嬉しい。。。
最新コメント
[12/01 k-t]
[12/01 k-t]
[11/07 k-t]
[11/06 k-t]
[11/06 k-t]
counter
PR