仕事をひととき離れて、日常の出来事やうっぷんをこっそり更新。
皆さんも息抜きに楽しんでもらえれば幸いです。
このブログを通じて皆さんとの輪が広がりますように・・・
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去年の暮れは、忙しくて、大掃除や庭の手入れも、草花の植え替えも、出来ずじまいで終わってしまった。雪解けの庭を見ると、荒れ放題。毎日の生活と仕事の他に、また一つ、庭の手入れの労働が待っている。「あ~。嫌だ。大変だ。体が言うことを効かない。でも、放っておいたら、何と、雑草の中から、以前植えたであろうチュウリップや他の花々が芽を出し、可愛く咲き始めている。何という生命力。手入れも肥料もやらずとも、今年も私の心を癒させてくれるのか。そんな気持ちに答えて、どんなに、大変でも、仕事が忙しくても、綺麗な花が咲けるよう、周りの雑草を取ってあげねば。何とか花の気持ちに答えてあげねば。私って、どうして感情に左右される人間なんだろう。体が辛いと思いつつ、せっせと雑草狩り。あ~辛い。でも、その後が。。。。
講演を聞いて、思わず聞きほれてしまうほど、話しのうまい人がいる。かと思うと、話しを聞いているのが苦痛で早くこの場所を離れたいと思う話し方の人もいる。話し上手の基本を本で調べてみた。1、人にどう伝えるかより、どうしたら、伝わるかの伝える努力を惜しまない。 2、聞き手の表情や仕草の変化を見逃さない。 3、自分を大きく見せようとせず、人からよく思われようとせず、等身大で語る。 4、指示は、出来るだけシンプルに。 5、あなたは、どう思うかの問いかけも必要。 6、上手い人の講演を何回も聞く。繰り返し上手い人のを、聞くことが一番の話し方上手の勉強法だそうな。私達も司会者として、人を魅了する話し方を身につける努力をしようね。司会者さん。。。
爽やかなお天気の朝、硝子張りのいつもの喫茶店の窓から、一羽の可愛い雀が、くの字型に進みながら、近づいてきるのが見えた。「何でまっすぐ歩かないのかなぁ~」不思議な気持ちで見ていると、何やら口に餌らしきものを入れている。もしかして、ドーナツのかけらを拾っているのかな。口の中に入れた物を、離れた所にいるもう1羽の雀の所に持っていった。「子供が待っているのかな。雀もしっかり子育てしてるんだ。いや、ご主人かな。いや奥さんにかな。雀にも、亭主関白、かかあ天下、あるのかな。人間とおなじだね」独り言に1人で声を出して笑ってしまった。隣に座っている人は、ビックリした顔をして私を見ている。誰も解ってくれなくても、空想は楽しいんだよね。顔の笑顔と心の笑顔。アハハハハ。。
人間の体の節目、人生の節目。昔から、言われる節目を大切にしてきましたか?私は、いままでの人生の節目を考えずに過ごしてきた。よく、昔、司会をしていた時、あちこちから、~祝の司会を頼まれた事がある。特に驚いたのは、初老祝い。初老はまだ若い年齢で、今まで築き上げた、財産を吐き出し、沢山の人をご招待してお祝いをするのを見て、不思議さと勿体なさと感じたけど、今自分が節目の年齢になると、なにもせず過ごしてきた人生に反省するものがある。せめて、親しい人達だけでも、集まって、今までの人生とこれからの人生の私を見守っていただきたい気もする。やはり、昔からの決まり事、祝い事、式たりは、節目として、深い意味があるんだなぁ~。皆さんも節目は大切に。。。。
今、認知症は何人に1人がかかる病気と言われている。かかった本人も大変だが、介護する家族の負担も大変だ。でも、「介護している皆さん。女優になりましょ!」と講演した人がいる。女優のように演じなさいということだ。例えば、認知症のお年寄りが「私の財布からお金が一万なくなった」と怒った場合「私は取ってない」と反発するのではなく「あら、お婆ちゃん、急に集金の人がきたから、ちょっと借りたの。ごめん。」と財布に入れてあげる。そして、寝た頃に、お札を取り返す。起きる頃には、わすれている。。。お互いに気持ちよく暮らすには、反発よりも、演技をし、介護する人も負担も軽くなる方法を考えて…ということだ。そして、自分が病気にならないよう、介護の手を抜くのではなく、気持ちの切り替えをし、少しの時間を見つけては、ストレス解消をし、健康維持を考えて。。と。介護の役割、いろんな情報交換も大切にだって。。。
最近、誰かと会っても、言葉を発するとすぐ涙が出てくる…本を読んでも涙。でも感銘を受けたコラムの紹介。母が娘の幼稚園時代の心の葛藤をコラムに書いたものだが、お子さんが幼稚園の時、仲良しのMちゃんが交通事故で亡くなった。葬式に参列した時、Mちゃんのご両親は、憔悴しきって、涙の止まらない姿を、子供ながら、何かを感じ取ったのだろう。その後、忙しい日々が過ぎ、小学校に入学した、二学期の終わり頃、担任の先生にお母さんが呼ばれ、「お子さんが、全く人と関わろうとしない。何ででしょう」と言われたそうな。母が娘さんに、理由を聞くと「私が友達を作ったら、天国へ行ったMちゃんを忘れちゃうかもしれないから」と答えたと言う。葬式の時、亡くなったMちゃんのご両親から、いつまでもMちゃんを忘れないで!と言われたことが、子供ながら、ずっと守っていた事を知った母は、すぐMちゃんの家にお参りに連れて行ったという。その当時の幼稚園のそのままのお部屋を見て、我慢していた心を吐き出すように、泣き出したという。Mちゃんのお母さんか
ら、「Mはずっとここにいるよ。いつでも遊びにおいで」との言葉で、そのお子さんも前に進めたような気がする・・本当に泣ける話だ。私も、家で飼ってあた柴犬が亡くなった時、似たような犬をみると、思い出しては、一年間も涙が止まらなかった。引きずらないようにと思うけど、忘れることができない事はあるんたよね。
ら、「Mはずっとここにいるよ。いつでも遊びにおいで」との言葉で、そのお子さんも前に進めたような気がする・・本当に泣ける話だ。私も、家で飼ってあた柴犬が亡くなった時、似たような犬をみると、思い出しては、一年間も涙が止まらなかった。引きずらないようにと思うけど、忘れることができない事はあるんたよね。
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